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対抗して作ってみた。

ALPを支えられなかった技術(3)

いろいろなエイプリルフールの企画とともにふと思い出したので、ALPを支えられなかった技術の続きを書きます。ほぼ一年間もおまたせして申し訳ありません。

一応、あらすじというか過去の話へのリンク:

ALP第三期 - Monolith

さて、やっと Monolithの話が始まります。 Monolithというのはコードネームで、表向きは Emblaze ELSE といっていました。 とりあえず、MWCで発表したときのデモがあるので御覧ください。


MWC - The First Else cell phone brings a unique interface

今みてもそこそこおもしろいUIだと思います。 現在の、マトリックス状にアイコンが並ぶのとは全く違うスマフォの UIを構築しようとしているのがわかります。

この時は 2009年、すでに iPhoneも 3GSが出ており、日本でもソフトバンクが大々的に売り出していたころでした。 のっぺりしたFeaturePhoneの延長線のUIではなく、ヌルヌルしたUIで Appleを殴りに行くぞという気概は見ていただけるでしょうか。 ELSE、また別のスマートフォンという名前の示すとおりです。

ほかに engadgetの記事も見つけたのでリンクを張っておきます。そこそこ期待しつつも、パチモンなんじゃないかと訝しんでいるのが読んでとれます。

イスラエルの Emblaze社

最初の記事に書いたとおり、最初のALPは GTkをもとにした凡庸な UIで、必要なことはできるけど使っていて楽しいUIとは別のものでした。 ACCESSという、受託開発メインでやってきた会社しても、そこを尖らせた UIを作る気概はあまりありませんでした。

それが変わったのは、イスラエルの Emblaze社とくんだからでしょう。 その名前を聞いたのは 2008年の夏頃、自分がまだ LIMOで悪戦苦闘していた頃のような気がします。 遙か中東から引き合いがあるという話を伝え聞いて、また軸がブレるんじゃないか、そんなに手を出してていいのかと思ったのを思い出します。 元上司が酒の席か何かで、イスラエルの会社と付き合うのは面倒だ、と前職の経験をはなしてたせいかもしれません。

いずれにしても、そのコンセプトビデオをみて、えらいことになったなあ、とか思ったものでした。 ビジュアルエフェクトがバリバリかかりまくって画面がぬるぬる動く、いままで ACCESSがやってきた UIとは別物です。 こりゃ、作れないだろう、担当チームかわいそうだ、とあまり関わっていなかった自分は他人事のようにおもったものです。

が、2008年の秋頃には否応なく関わることになりました。 無茶なのは確かでしたが、一方無茶を実現するのが面白かったのもあります。 少なくとも政治的妥協物をでっちあげるよりはよかったです。

技術

技術的には一期、二期の ALPを換骨奪胎したものになります。

まず、GUIGTkを全て捨て、OpenGLをベースにした Clutter) というツールキットで作り直すことになりました。 そして、慣性スクロールなどのスマートフォンとして当然の UIが実装されることになりました。 また、前掲のデモにあったようなビジュアルエフェクトは、Emblaze側のエンジニアがシェーダをバリバリいじって作ってくれました。 自分の手の中でそのグラフィックスが動いているのを見た時は、やはりやる気が出たものです。

アプリケーションマネージャは、引き続き使われることになりました。 ユーザIDによるアプリケーションごとのセキュリティ境界などは相変わらずありましたが、 アプリをあとから追加できる設計までにはなっていませんでした。 特に、付属のアプリケーション間での連携は頑張っていましたが、 外部と連携するための Intentのような仕組みには至っていませんでした。

個人的には低レベルな部分を見ていたので、サスペンド、レジューム、ブートシーケンスあたりで苦労しました。 本当にCPUが寝ているかどうかを、電流をはかって調べたのも良い思い出です。 思い返してみればそこでちゃんとレイヤーが切れておらず、アプリケーションレベルの動作がサスペンドなどの基本的な動作に 用意に影響してしまうのがダメダメだったともいえるでしょう。

中止

技術的にはいろいろチャレンジングで面白くはあったものの、いろいろな問題があって開発は 2010年の夏には正式に中止されることになります。 「イスラエルのEmblaze社、First ELSEの開発中止を発表」にあるように、 販売に達するまでのクオリティを達成できなかったのが一番の敗因でしょう。

ACCESS社員の立場から見ると、開発が遅れているにも関わらず必要な機能を絞り込めず、様々なギミックの実装やデバッグによる時間を取られすぎた、という感もあります。 とはいえ、そういった偏執狂的な妥協のなさというのはあの時点で iPhoneと戦うためには必要なものだったのかもしれません。 キャリアと握ってなんとか出せればいい、というものではあの時点では勝てないので。 勝たなくてもいいから AndroidiPhoneの間でニッチを確保する、などというのも無理だったのは TIZENや Windows Mobileの現状を見れば明らかでしょう。

いずれにしても、あの時点では撤退しかなかったのはもったいないけど仕方がなかったとは思います。