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対抗して作ってみた。

動物化したポストガラケー

友人が 「Androidを支える技術」という本を書いたので宣伝がてらうだうだ書いてみる。

gihyo.jp

本はすでに本屋に並んでいてそれなりに評判もいいようで、ちょっとだけ手伝った身としてはなにより。レビューに参加した組み込みおじさんには好評だったけど、一般に売るにはちょっとマニアックすぎるのじゃないかと心配していた。まあ文字通り「支える技術」という点ではまったく間違ってはないし。

森田氏は 死んでしまったOSたちへ – To Phantasien で Opinionatedだといってるけど、普段彼と話してるともっと opinionatedなので、わりと大衆受けを狙って抑えてるなあ、とか思ってしまった。まあ、そこらへんの読者層を鑑みた語り口のうまさというのは、自分にはないものなので。

今回の本というのは GUIを中心のテーマにおいて Androidの技術を解説する、というやや偏ったアプローチになっているが、それはストーリーテリングとして楽しい。X11や framebufferべた書きの組み込みのころに GUIを学んだ身としては、表面だけを見ててはわからない変化があるのね、というのを実感する。

そもそも、自分は UI周りは得意ではなく、それよりはネットワークとかメモリとかを考えていたい口だったので、不勉強だったのはある。でも彼の 60fpsを全面に押し出した解説は、携帯業界というのが、機能とか安定性とかではなく UIを全面に押し出したマーケットになってしまったのだなあ、ということを否応もなく実感させてくれる。iPhoneがそう変えてしまったのだし、それについていけなかったガラケーやら Symbianやら WindowsMobileやら ALPやらが死んだのは必然的なものだったのだと。

なめらかな UIがもたらす快感というものがほんとうに我々の生活にとっていいものだったのか、という疑問はこのエントリのタイトルが暗喩してたりはするのだけど、でもそこをクリアしないと人々の口の端にものぼらない、という現実を認識して努力するのが正しいモバイルエンジニアというものなのだ。

ちなみに死者の末席に加えさせて貰ったALPではあるが、そこらへんの変化に気づいて追いつこうとはしていたのではないか、と今更ながら弁護したい気持ちがわいてきた。のでそこら辺は「ALPを支えたかった技術」として書ければいいな。