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対抗して作ってみた。

民芸的教育論

だいぶ書いてないので、まとまったネタじゃないけど書いておく。

一部の方はご存知のように、自分は Quipperという教育系ベンチャーに勤めている。 そこで今話題の一つになっているのが、ペースをむりにでも調整したほうがいいのか、それともやる気があるときはガシガシやらせたほうがいいのか、という話がある。

具体的に言えば、問題を1ヶ月毎に配信するか、それとも先に進みすぎないように1週間ごとに配信するかとかだ。これでエンゲージメントとかがどう変わるかが議論に上がっている。

ガシガシ派代表として

自分の経験からいえば、やる気に任せてやらせた方がいいとは思う。小学校の頃から、かったるい学校の授業は無視して、自分の好きなプログラミングや数学に熱中していたからこそ今の自分ができていたとも言えるし、それはそれで良かったと思っている。逆に、もっと好きな事をアピールして外に出て行けばよかった、と後悔してたりもする。

もっとかっこつけて言えば、コントローラビリティというのが重要である。コントロールしている、という満足感は子供をより集中させる。自分が好きだったものだって、パーソナルコンピュータのコントローラビリティの高さは当然として、数学も道具なしに実験できる点で他の自然科学よりコントローラビリティが圧倒的に高かった。

そういう意味で、自由に自分の進度を制御できる、というのは学習においても重要な価値を持つと思う。それによって学習の満足感に正のフィードバックを与えて、どんどん進んでいける。子供に学習させよう、と苦労している親から見れば勝手に学習していってくれるというのは夢のようではある。

ペース配分派の意見

しかし、それは自分の経験に基づいた意見である。自分の経験していないものを否定しない優柔不断を旨としている自分としては、そうじゃない道もあるのかな、と思う。

たしかにモチベーションに身を任せずに、ペースを守ってやっていくことは重要だ。どこかで読んだが、作家がものを書き続ける秘訣は、書けようが書けまいが一定時間机に向かう時間を持つことらしい。また、どんなに熱中したゲームでもいつかは飽きる。クッキークリッカーのように。

そもそも一日の流れは規則的である。どう頑張っても地球上に住む限り24時間毎に日は昇り沈む。熱中に身を任せてそれを無視した生活をする人もいるだろうが、それが長続きしないのは衆目の一致するところだろう。生きている限り自分の自由なペースだけでは突き進んでいいけない。

そういうことを考えた上で思い出したのが、題目にある民芸的な話である。民芸と言っても、自分は高校の教科書に載っていた柳宗悦の評論しかしらないのだけど、あれは妙に印象に残っている。ちょっと青空文庫を探ってみたけど、どうも読んだ文章はみつからない。それでも思い出しながら書いてみると、無名の職人が奇をてらわず、糊口をしのぐために流れ作業のように作った器にこそ用の美があるのだ。すごく熱意を持ってやっているわけでもなく、淡々と毎日作っているうちに習得していくもの。そういう学習の仕方もあるのだろうなあ。

自分は最初に書いたように、そういった規則的な淡々としたものに苦手だからこそ、憧れる世界であったりはする。だからといって、そっちを積極的に指示することは経験上できないのであるが。